大島花子さんの歌声に思ったこと

<お知らせ>

・女性向けワークショップ「女性のためのクリティカル・シンキング」を開催します(2012年2月)。詳しくは、こちらをご覧下さい。

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こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。

昨日、子どもたちにいつもすばらしいプログラムを提供し、また、私のプロジェクトも応援して下さっている財団、IWCJさんのホリデー・パーティに、子どもたちと一緒に行ってきました。

子どもたちは世界各国のお菓子クッキングやクリスマスの飾りの作成を楽しみ、ママたちは今後の子どもの教育について考える—という、盛りだくさんな趣向で、子どもと共にとても楽しい、充実したひと時を過ごすことができました(IWCJさん、本当にありがとうございました!)

パーティーのフィナーレを飾ったのは、歌手・大島花子さんのコンサート。大島さんのことはご存知の方も多いと思いますが、故・坂本九さんのお嬢さんでもあり、小さなお子さんを持つママでもあります。

コンサートでは、「幸せなら手をたたこう」を子どもたちに色々なリズムを体感させながら歌ったり、震災で被害にあった方たちを励ますために作られたという「ルミエール」という歌を披露して下さいました。

大島さんのコンサートで、何よりも感動したのが、その歌声。なんとも深い、すばらしいお声をしていらっしゃるのです。あふれんばかりの詩情、とでも言いますか。独特の世界観を声だけでここまで表現できるとは、と感嘆しました。

大島さんのお声を聞きながら、思い出したことがあります。

私がまだ大学院生だった頃、英文学を学んでいた私は、「作家はどうやって自分の考えを言語化するのか、非言語状態の『原』考えと最終的に言語化されたものとは、どれくらい近いものなのか」と作家たちの文章に触れる度に考えていました。その答えは未だ出ずじまいですが(そもそも人の考えって、どこの時点で言語化されるのでしょうね)。

そんなことを考えていた折り、とあるクラシックのコンサートでヴィヴァルディの「四季」を聴き、「自分の考えや思いを音でこんなに確実に表現できるなんて」とびっくりしました。「言葉」の世界にいた私にとっては、衝撃だったのです。「四季」の「春」と呼ばれる楽曲はまさに春そのものですし、「冬」は、うん、うん、この感じ、冬だよね、と聴く者に思わせる説得力があると思います。

「四季」を聴きながら、人間は色々な表現ツールを持っていて、言葉と言うのはそのツールのひとつに過ぎないのだ、という当たり前のことを実感しました。歌で表現する人、絵で表現する人、態度で表現する人、言葉で表現する人、物作りによって表現する人。人間の「思い」を表現する方法は無限にあるのですよね。

昨日のコンサートの最後の曲は「上を向いて歩こう」でした。大島さんの歌声に身をまかせながら、震災のあったこの1年を思いつつ色々な感情が交錯する中で、子どもたちが「ぼく、私はこの表現方法で思いを伝えていこう」と自ら見つけていくことが、いかに大事かということに思いを馳せていました。

自分だけの「表現方法」を見つける。いつそれが見つかるかは、人それぞれだと思います。自分はどういうことが好きで、どういうことが得意で、どういう時に幸せと感じるのか。自分とはどういう人間なのか。色々な経験をしながら、一生懸命考えていれば、いつか答えが出てくると信じています。