月別アーカイブ: 2013年1月

自己肯定感って、何?

 ご好評をいただいております、小学生の考える力と伝える力を伸ばす「コミュニケーション能力プログラム」(隔週、全10回)の、第二期生の募集がスタートしました。詳細は、こちらです。
☆ Wonderful☆Kidsは、子どもたちの考える力を伸ばし、「生きる力」を伸ばすスクールです。
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こんにちは。Wonderful Kidsの狩野みきです。

最近特に耳にすることが多くなった、「自己肯定感」という言葉。

最近の子どもは自己肯定感が低い、とよく言われます。子どもよりもむしろ大学生や大人の方が自己肯定感が低いのではないか、と思うこともあるのですが…

そもそも「自己肯定感」って何でしょう。意味はわかってはいるけれど、今ひとつピンと来ない、という方は少なくないと思います。

自己肯定とは「自己のあり方を自分自身で認めること」。日本国語大辞典からの引用ですが、この定義、理屈ではわかるけれど、実感としてはわかりづらいような…

自己肯定感はよく、「自分は特別で大切な存在なんだ、と理解すること」という説明のされ方もしますが、これも、意味はもちろん理解できるけれど、今ひとつピンと来ないんじゃないかなぁ、と感じていました。

なぜかというと、日本社会で「自分は特別で大切な存在」と言うと、時には「自己中心」「自分さえよければいい」というマイナスのイメージが伴うからです。「謙遜の美学」に反するような響きがどことなくするんですね。

自己肯定感。生きていくための大事なパワーだと思います。

考えることが自己肯定感をもたらす→生きる力になる、と私はいつも言っていますが、でも、どうすれば、自己肯定感=自己中心ではない、ということをきちんとわかってもらえるかなぁ、とずっと悩んでいたところ…

つい先日、「自己肯定感」のいとも明快な定義に出会ったのです。子どもに長年お芝居の指導をなさっている方とお話していた時に、その方がサラリと、

「自己肯定っていうのは、自分のことを本当の意味で愛せること」

とおっしゃったんです。

彼女のこの言葉を耳にしたとき、目の前がパーッと開けた気がしました。

誰かを「愛する」というのは、その人の良いところも悪いところもトータルで見て「いとおしいと思う」ということですよね。その人の良いところばかり見て悪いところは見ない、というのでは、その人のことを「愛する」ことはできませんし、悪いところがあるからイヤだ、と言っていたのでは、誰のことも「愛する」ことはできません。悪いところのない人なんて、おそらくいないのですから。

自分に対しても同じなのだと思います。私は良いところがこれだけあって、でも悪いところもある。悪いところは直そうとがんばっているけれどなかなか直せない、でも、そんな自分を「私はこういう良いところと悪いところがあって、がんばってるけど失敗もしちゃう、でも毎日一生懸命生きてるよ」と、自分の存在を認めてやることが、大事なのだと思います。

本当に大事な誰かに向かって、いちいち「私はあなたのことを愛している」と連発する必要はないですよね(あ、もちろん、西洋風に連呼してもいいんですけど…)。同じように、「私は自分のことを愛しているんだ、愛しているんだ」と声高に言う必要もないのだと思います。自分の中で静かに「自分はこういう人間だとわかっているからこそ、自分のことを『こういう人間』として認めてるんだ」と思うことが、生きるパワーをくれるはずです。

そして、「自分はこういう人間だとわかる」ということは、「考える」ことがもたらしてくれる。私はそう信じています。

自分を本当の意味で愛せる子どもを、考えることを通してもっと増したい。そのためのお手伝いを、微力ながらしたい…と今日も思っています。

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逆境からたくさん学べる子に

小学生対象の「コミュニケーション能力プログラム」(各コース全10回、隔週)第二期生、近日募集開始します!
 WonderfulKidsは、子どもたちの考える力を伸ばし、「生きる力」を伸ばすスクールです。
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皆さま、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

お正月はどのように過ごされましたか。

私は今日から完璧に仕事モードに入りました。我が家の子どもたちも、学校と保育園にそれぞれ復帰です。

小3の娘は宿題の書き初めを大事そうに持って出かけました。

その書き初めを見て思ったのが…今日のタイトルです。

いきなりですが、私は根っからの不器用人間です。利き手じゃないとジャンケンすら満足にできません(頭で「グー」と思っているのに「パー」が出ます)。テイクアウト用のコーヒーのカップを(利き手ではない)左手で持つとカップが多いに揺れて、中身のコーヒーがどんどんこぼれていく始末。

器用さが求められる作業は子どもの頃から特に不得意で、人並みにトランプをきったり口笛を吹くのも大チャレンジでしたし、お裁縫なんてもってのほか。縄跳びも血のにじむような努力をした記憶があります。今となっては英語や「考えること」を人様に教えていますが、英語も考えることも、泥臭ーい努力を重ねた結果なんです(泥臭さが最近少々薄れていますが、努力はまだまだ一生続きます)。

人並みレベルになるためには、人の100倍努力しなくちゃいけない、というのが私の人生の「掟」なのですが…

ひるがえって、うちの娘。器用なんです。

お習字でも運動でも、ちょっとやればすぐできる(ように少なくとも親の目には映ります)。うらやましいなぁ、私に似なくてよかったなぁ、とずっと思っていたのですが、娘の書き初めを見た時に、ふと年末のことを思い出しました。

それは、娘がおせち料理の準備のために里芋の皮をむいていた時のこと。

里芋は娘の大好物で、かつて皮をむいた時にはけっこうスルスルとむけたのですが、年末のものはそうは行きませんでした。量もいっぱいあるし、皮がかなり固く、娘はめずらしく悲壮感すら漂わせ、全意識を集中させて必死にむいていました。ふと顔を見ると、目は涙目…がんばれ、と心の中で応援しつつ、私は手も口も出しませんでした。

30分以上たって、皮むきもようやく終了。でも本人はその出来具合に納得がいっていない様子。「あんまりきれいにできなかった…」とやるせなさと疲労感でいっぱいの顔をして言ってきました。

よく最後までがんばったね、と娘をほめながら、器用で何でもある程度こなしてしまう娘は、こういう状況に(私とは違って)あまり慣れていないのかもしれないな、と思ったものです。

私は、どんなにがんばっても人並みになれないことがある、ということを、子どもの頃からいやというほど肌で感じてきました。と同時に、どうにかして「人並み」になろうとする過程で、工夫することや自分で方法を考えることや耐えること、そしてその他のたくさんの大事なことを学びました。

娘には、「がんばってもうまくできないこともある。でも、そこからものすごいことが学べる」ということをもっと経験してほしいと思っています。逆境も「教育」ですから。

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