子どもと美術館に行ってみる

こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。

昨日、ひょんなことから、美術館とは普段まるで縁のない子どもたち(8歳と3歳)を連れて「モダン・アート,アメリカン展」(国立新美術館、12月12日まで開催)に出かけました。アメリカ初の近代美術館である「フィリップス・コレクション」からの、美しい色彩の作品110点がズラリ。肩肘張らずに楽しめる、おススメの展覧会です。

子どもどころか、私自身が美術展とは縁のない生活を送っているのですが、昨日久しぶりに出かけてみて、「もっと子どもを連れて美術館に行かねば」と思いました。美術展は子どもが本物に触れられる絶好の機会でもあり、貴重な「考えるヒント」をも与えてくれます。中学生以下は無料という美術館も多いので、ある意味とてもお得です。もちろん、騒いで走る生き物である子どもに「騒がない、走らない」を徹底させ、「触らない」と言い聞かせる必要はありますが。

以下、子どもと一緒に、一流の絵画に囲まれて一流の(?)考える時間を持つための、一案です。何せ昨日思いついたことなので、まだ荒削りです、スミマセン。

  1. まずは、子どもが退屈していないかどうか、チェック(残念ながら、退屈しているようなら、「考える時間」はあきらめた方がいいかもしれないです)。
  2. 子どもが興味を持った作品に関しては、題名を教えずに「これって何の絵だと思う?」と尋ねたり、抽象画などについては、例えば「この絵が○○(例:教会)だって!なんでこんな教会を描いたんだろうね」と話し合ってみる。「無題」という作品などは、想像力を育む格好の題材になります。
  3. 「この中でもしも1枚だけ持って帰ってもいいって言われたら、どの絵をもらいたい?1枚だけ、自分のいちばん好きな絵を探してみようよ」と提案してみる(年齢が低い子どもの場合「本当に持って帰れるわけじゃないよ」と念を押す必要があるかもしれないですね)。
  4. いちばんのお気に入りを子どもが教えてくれたら、その絵の前に一緒に立ち、思い切り鑑賞。「なんでこの絵が好きなの?」と聞いてみる(ちなみに、上の子は、湖が描かれた作品を選んだのですが、理由は「水の感じがとてもすてき。水って感じがすごくする」。下の子が選んだのは全体的に水色がかった絵でしたが、理由は「水色がきれい」)。

「もしも1枚だけ持って帰ってもいいって言われたら、どの絵をもらいたい?」という問いは、私のかつての美術の先生が、美術館に連れて行って下さると決まって聞いてくれたものでした。「そうやって見ると、絵は楽しいよ」と仰っていました。当時は「この先生、変わったこと言うなぁ」ぐらいにしか思っていなかったのですが、あらためて考えてみると、この問いは奥深いと感じます。

美術展に行くと、歴史的に価値があるとか、批評家が絶賛しているとか、有名な画家によるものだとか、そういう他人による評価や知識に自分の「評価」が引きずられることが時にはあると思います。そういう知識を得ることはとても良いことだと思いますが、自分の意見が見えなくなるのは、もったいないとも思うのです。

私自身、「批評家がすばらしい作品だって言うけど、どこかいいのかわからないなぁ、良さが理解できない私がバカなのかなぁ、バカだって思われたくないから『すばらしい』って言っちゃおう」と思ったことが何度もありました。

私に傑作を理解するだけの「眼」がそなわっていなかった可能性は十二分にあるのですが、一方で、自分は本当は納得していないけれど、他人が決めた評価(=正解)をとりあえずうのみにする…というのは、「納得はいかないけれど、先生が正解だと仰るのだから正解だと信じよう」と従ってしまう「正解主義」の姿勢と同質のものを感じます。

だからこそ、(がんばって)美術展に子どもを連れて行って「自分だけのお気に入り」を探してもらうことには意義があると思っています。その作品の題名について一緒に考えたり、ある程度の年齢の子どもなら、画家について一緒に調べることもできますよね。調べ方を子どもに教えてあげるいい機会にもなると思います。

理屈はともかく。子どものうちに「本物」に触れるのは、何ものにも代えがたい経験です。皆さんも、子どもと一緒に美術館に出かけてみませんか。

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子どもの無理難題を「考える時間」に変える

こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。

子どもって時々、とんでもない無理難題をさらっと言ってきますよね。子どもの「無理難題」にはおおよそ二種類あって、ひとつは「○○のオモチャが欲しい」などの要求で、かなえてあげようと思えばできるけれど、教育上その他の理由で保護者が「ダメ」と言えるタイプのもの。もう一方は、「月に行きたい」的な要求で、その要求をかなえること自体がそもそも難しそうなもの、です。

この2つ目のタイプの無理難題、実は、「考える」ための格好の材料になるんです。実現不可能(そう)な物事をどうしたら実現可能にできるか、子どもと一緒にいわばおままごと感覚で考えてみるのですが、これは考えること自体の訓練にもなりますし、色々夢がふくらんで楽しいと思います。「無理、無理」とあっさり却下せずに一緒に策を考えてあげると、子どもも最終的には納得してくれる…こともあるようです。

また私事で恐縮ですが、うちの娘(小学低学年)が先日、普段かわいがっているスターバックスのクマの、ひとまわり大きなサイズのものが欲しい、と言い出しました。

日本のスターバックスでは、クリスマスや桜の時期になると毎年違うデザインのクマが売り出されるのですが、このクマ(「ベアリスタ」という名前だそうです)、体のサイズがいずれも体長20センチぐらいと決まっています。

大きめサイズのベアリスタは売っていない由、娘には告げたのですが、それでも本人は納得しません。そこで、どうしたらひとまわり大きなベアリスタを入手できるか、二人で考えてみることにしました。

以下、「無理難題」を「考える時間」に変えるための、手順です:

  1. まず、「ゴール」を明確にします。要するに、子どもが言いだした「無理難題」の目指すところ、ですね。私と娘の場合、「ゴール」は「ひとまわり大きなベアリスタを入手する」です。
  2. その「ゴール」を達成するための「策」を、なるべくたくさん、多方面から考えつく限り出し合います(紙に書き出すのもOK)。策を出し合っている時に注意すべきは、どんな策でもとりあえず口に出してみる、ということです。「こんな考えは非現実的なのではないか」「こんなことを口にしたらバカだと思われるのではないか」などとへんに「大人の」分別を持ち出してしまうと、せっかくの大胆な発想も芽を摘まれかねないからです。
  3. リストアップした策の中から、いちばん現実的なもの、そして、当事者(今回の場合は私と娘)にとっていちばんしっくりと来るものを選びます。
    (注:ちなみに、このプロセスは、critical thinking のクラスで「より良い選択肢を模索する」ためのトレーニングとしても時々行なうものです)

私と娘が出した策は、①「アメリカのスターバックスにメールを出して、大きめのサイズのベアリスタを作ってくれないかどうか、聞いてみる」②「ぬいぐるみを作る天才をどこかから見つけ出して、その人に作ってもらう」③「自分でがんばってお裁縫の腕を磨き、いずれ自分で作る」、の3つでした。

①案に対しては「そんなことしたら、大騒ぎになるからやめて」と娘。「アメリカは『とりあえず聞いてみることが大事』な国だから、そんなこと気にしなくていいのよ、私、メールいくらでも出しちゃう」と諭しましたが、それでもこの案は、(思慮深い)娘の一存で却下。②も探せるかどうかわからないし、探せたとしても、その人が思い通りのクマを作ってくれるかどうかわからない、という(娘の)理由で却下。結局、③案を採択することになりました。

さて、この話をしてから、はや2週間。娘はお裁縫を習いたい、とは未だに言ってきません。習いたい、と言われても、私には教えられないのですけれど。

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