クリティカル・シンキング:子ども版と大人版の違いとは

<お知らせ>

・セミナー「今、子どもに必要なのは英語とクリティカル・シンキング」をさせていただきます(2012年1月)。お父さん、お母さんだけでなく、教育関係者、子どもの教育にご興味のある方、どなたでも歓迎です。託児サービス付き。詳しくは、こちらをご覧下さい。
・ワークショップ「女性のためのクリティカル・シンキング」を開催します(2012年2月)。詳しくは、こちらをご覧下さい。

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こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。

クリティカル・シンキング(以下、CTと略)を学んだことのある大人に、子ども向けCTの内容を教えると、「うそぉ、これがCT?」と驚かれることがあります。

たしかに、私自身が大人に教えている「CT」と、子どもに教えている「CT」とでは、内容がかなり違います。どう違うのか、なぜ違うのか…というのが今日のテーマです。

Critical Thinking って何?にも書きましたが、CTとは「与えられた情報や他人の意見を問い直し、そこから論理的かつクリエイティブにより良い選択肢を考えだす力」のことですが、簡単に言ってしまうと、CTとは「自分の頭できちんと考えること」です。

こう書くと、「考えること」なんてわざわざ教わらなくたって知ってますぅ、との声が上がりそうですが、ここで言う「きちんと考える」というのは「本当にこの情報は正しいのか、この人の言っていることは理にかなっているのか、他に考慮すべき問題点はないのか、と徹底的に論理的に考える」という意味です。これをなるべく少ない字数で言うと、「与えられた情報や他人の意見を問い直す」となるんですね。

では、なぜ「情報や意見を問い直す」必要があるのかというと、そうしないと、困ったことになるかもしれないからです(例:他人の言ったことを鵜呑みにして経済的に損をする場合)。あるいは、問い直すことによって、より良い「未来」が得られるかもしれないからです(例:「効果的な英語勉強法」と言われているものが本当に効果的なのか、問い直すことによって「より効果的な」勉強法が得られる場合)。

要するに、CTは机上の「お勉強」というよりもむしろ、日々の生活において「困ったことにならないために」または「より良い未来を築くために」実施するスキル、つまり、実生活を生き抜くためのスキルである、と言えます。

話を「子どものCTと大人のCTの違い」に戻しますと…この2つがなぜ違うのかというと、ひとつには、CTが「実生活を生き抜くためのスキル」だから、と言えると思います。大人と子どもの「実生活」が違うからこそCTも違ってしかるべきで、子どものCT=大人のCTを水で薄めたバージョン、という図式ではないんですね。もちろん、子どもの頭のレベル(思考力や論理力)と大人のそれとでは大きな違いがありますから、その点も多いに考慮する必要がありますが。

理屈はともかく…何よりも、私が子どもたちに体感してほしいのは、自分で「きちんと」考えることは楽しい、ということです。自分の頭で考えることがこれからの世の中では特に大事である、ということにも気づいてほしいと思っています。

私がCTを教えている大学生が先日、「私ももっと早い時期にCTを学んでおきたかった」と言ってきました。Better late than never.(遅れても何もしないよりはマシ)ではありますが、一方で The earlier, the better. (早ければ早いほどいい)とも言えると思います。

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「理由を考る子ども」を育てるには

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セミナー「今、子どもに必要なのは英語とクリティカル・シンキング」をさせていただくことが決定しました(2012年1月)。お父さん、お母さんだけでなく、教育関係者、子どもの教育にご興味のある方、どなたでも歓迎です。託児サービス付き。詳しくは、こちらをご覧下さい。

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こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。

「理由」を考えることが critical thinking の第一歩です、といつもこのブログでも書いていますが、子どもに「どうして?」と理由を尋ねても、まるで答えを言ってくれない、というケースもあります。

子どもが理由を口に出さない「理由」は様々で、「純粋に理由が思いつかない」「内容が理解できていない」ということもありますし、レッスン中であれば「緊張しているから」ということもあり得ます。こういう場合はたいてい、もう一度わかりやすく説明した上で「どんな理由だって正解だから、はずかしがらないで言ってみて、一生懸命考えることが大事だよ」と言ってあげると、本当に一生懸命考えて何らかの理由を言ってくれることが多いと感じています。

一方で、「面倒くさい」から理由を言いたくない、考えたくない、という子どももいます。「面倒くさいなぁ」と思いがちな性格や年齢、というのもあると思います。私自身、面倒くさがりなので、こういう子どもの気持ちは理解できるんです。

面倒くさがる子どもにどう「理由を考える」ことを促せばいいですか、と時々保護者の方から質問を受けるので、以下、私の個人的な考えを書かせていただきますね。

面倒くさがる子どもに「理由を言いなさい」と言い続けると逆効果となる可能性が高いので、無理強いはNGですよね。では、どうするか。まずは「理由を紙に書かせる」という代替案が考えられます。「しゃべる」ことがそもそも面倒くさい、あまり好きではない、というお子さんの場合には書かせることは効果的かと思います。でも、やおら紙を出して「はい、ここに理由を書いて」と言うのは何やら事情聴取あるいはテストのような趣があるので、日頃お子さんと交換日記のようなものをつけて、そこで理由を根気づよく引き出してみる、というのはどうでしょうか。

もうひとつは、大人自身が「理由を常に考える人になる」ということです。例えば、今日のお味噌汁はいつもよりもおいしくできたな、と思ったら「今日のお味噌汁、いつもより上手くできちゃった、なんでかなぁ」と独り言のように言ってみる。あるいは、「今朝はずいぶんと空が暗いね、どうしてかなぁ」とつぶやいてみる。

自分でこの後適当な「理由」をつぶやいてもいいですし、何も言わなくてもいいと思います。大事なのは、子どもに「理由を考えるって普通のこと、日常的なことなんだよ」と大人が態度で示してあげることだと思っています。

横断歩道は信号が青になってから渡るのよ、と子どもにいくら教えても、その当の大人が信号無視をしていては、子どもは「信号が赤でも渡っていいんだ」と思ってしまいますよね。これと、理由を考えるクセもある意味同じだと思います。つまり、いくら子どもに理由を考えなさい、と促しても、大人の方が理由を考えない(あるいは考えていても、それが周りの人にはわからない)ようであれば、子どもは「理由は考えなくてもいいんだ」と思ってもおかしくないと思うのです。

ちなみに、私は朝から晩まで「どうしてかなぁ」を連発して、わが子たちに少々うるさがられることもあります。うるさがられるほど言うのは考えものですが、自分の「考える力」を伸ばすためにも、大事なのは「どうして」と思う心を持ち続けることではないでしょうか。

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