教えない先生

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 Wonderful☆Kidsは、子どもたちの考える力を伸ばし、「生きる力」を伸ばすスクールです。
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こんにちは。Wonderful Kidsの狩野みきです。

『アインシュタイン150の言葉』という本が売れているようですね。

私も、アインシュタインが残したとされる言葉で好きなものはたくさんあります。その中でも特に好きなのが、

I never teach pupils; I only attempt to provide the conditions in which they can learn.
(私は生徒たちに教える、ということは絶対にしない。私はただ、生徒たちが学べる環境を提供しようと努めているだけだ)

高い所から「教える」のではなく、生徒たちが自分で学びとれるような環境を作り出すこと。生徒が「自分で学んでいるんだ」という実感を持てるようにしてやること。「教える」立場にいる者にとって、本当に大事な姿勢だと思います。

実は、「教師は『教える』ものではない」ということを私に教えてくれたのは、アインシュタインではないんです。教えて下さったのは、大学院の時にお世話になった、K教授です。

イギリスの19世紀文学と鉄道をこよなく愛するK教授は、いつも鉄道のネクタイピンを身につけ、ふろしき包みを抱えてひょうひょうとした様子で授業にいらっしゃる、いかにも「名物教授」という感じのステキな方です。

当時、K教授の授業では、学生一人一人がお気に入りの詩を選び、それについて多いに語る、ということをしていました。

K教授は、イギリス文学界でも有名な大教授。発表する側にもかなりのプレッシャーがありました。そんなある日、普段から「不まじめ」という感じだった学生が発表をしたのですが、その内容は、お世辞にもほめられないもの…まじめに準備したとはとうてい思えず、「せっかくの授業が台無しになっちゃうでしょ!」と、私たちはイライラ。

ようやく発表が終わり、K教授のコメントの時間となりました。教室内に緊張が走り、誰もが「教授のお怒りの言葉」を期待していた、その時です。

教授はおだやかな調子でたった一言、こう言いました。

「ところであなたは、どうしてこの詩を選んだの?」

肩すかしを喰らったような気になりました。本人も含め、皆、「へ?」と驚いた様子。

発表した学生本人は、しどろもどろに「えーっとぉ…そのぉ…この詩人のことが前からなんとなく好きで…」と答えます。するとまた教授が、「ふーん。あなたはこの詩人の作品の中でも、特にこの詩を選んだんだよね。他の作品とどう違うんだろうね」。

えーっとぉ…と相変わらず歯切れの悪い調子ではあったものの、「この詩のこういうところがいい、こんなところが気になる」と一生懸命答えていました。すると教授が続けて…

「そういうところに関心があるっていうことは、あなたはもしかしたら○○に興味があるのかな?○○については、調べたことある?」
「いいえ」
「じゃあ、○○について調べてごらん。そしてどう思ったか次回、報告して下さい」

「怒られる」と思っていた学生の顔をふと見ると、なんとも清々しい、生き生きとした表情をしています。私が知っていたそれまでの彼女とは、明らかに、別人。

衝撃でした。ちゃんと準備をしてこなかった学生を責めるどころか、教授は一方的に何かを「教える」ということすらしなかったのです。学生のそのままの姿を受けとめ、自分の力で先へ進めるように、一歩一歩、根気づよく導いてやる…これが教育というものか、とヒヨッコの私は頭をがつんと殴られた気がしました。

「ちゃんとしなさい!」と叱るよりも、自分の力に気づけるように仕向けてやることの方が大事だ、ということも、K教授に教わったことです。そして、自分もいつかK教授のような「先生」になりたい、とずっと思い続けてきました。

私がK教授に近づけたかどうか、は私の授業に出席している学生や子どもたちに聞くしかないのですが…授業に見学にみえた方からは、「狩野さんのレッスンは、とにかく子どもが主役なんですね」「狩野さんが問いかけたり背中を押すだけで、子どもたちは前にどんどん進んでいくんですね」と嬉しいコメントをいただいています(ありがとうございます!)。

子どもたちが私の授業を受けた後に、「結局あの先生はたいしたこと教えてくれなかったよね、ボクたちが全部自分で学びとったんだから。でもあの先生は、ボクたちのことをいつも受け入れてくれたし、応援してくれてたよね」と言ってくれれば、それで私の教育は「成功した」と言えるのだと思います。

子どもたちが「自分で学びとった」と実感してくれること。これにまさる喜びはありません。

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