「経験談」の落とし穴!?

Wonderful☆Kidsは、子どもたちの考える力を伸ばし、「生きる力」を伸ばすスクールです!
7月より「ママのためのクリティカル・シンキング講座」(全10回)を開講します(詳細は近日中にアップ予定)。
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こんにちは。Wonderful☆Kids の狩野みきです。

先日、ハーバード大のマイケル・サンデル教授の特別講義を聞いてきました。NHKの「ハーバード白熱教室」以来、我が国でも大人気のサンデル教授ですが、彼の講義は、参加者同士、あるいは参加者と教授自身が意見を交わして議論をする、というスタイルで進められます。

意見たるもの根拠がなくてはならない、というのが議論の「お作法」ですが、私はサンデル教授の講義を聞きながら、以前からずっと気にかかっていたことをふと思い出しました。

それは、「個人的な経験談は、意見の根拠としてどこまで有効なのか」ということです。

「私も以前○○してよかったから、○○すべきだと思います」「私の友人が△△して嫌な思いをしたので、△△はよくない」などの意見。「私(あるいは私の友人)」の経験が、根拠としてどれだけ説得力があるのか、ということですね。

例えばAさんから「このクリームでシミが消えたのよ!」と聞けば、私も「Aさんはたしかにシミがなくなってキレイになっている!このクリームはすごい!」と飛びつきたくなります。

しかし、そのクリームを今すぐ買いに走りたいという気持ちは、まずは抑えたほうが懸命かもしれません。なぜかというと、Aさんの経験談という「根拠」の有効性を考えた方が良さそうだからです。「本当にAさんのシミが消えた原因はクリームなのか」「シミが消えた原因はクリームだけなのか」「Aさんに効いたからといって、私にも効くの?」という具合に考えるわけです。

仮に、よく考えずにクリームを買ったものの、「私」のシミは全然消えなかったとします。(そのクリームがよほど高価でもない限り)「ああ、私には効かなかったんだなぁ」程度で済むかもしれませんが、事態が「クリーム」よりも深刻な場合はそうは行きません。

経験談を持ち出して「だから是非同じようにしてみましょう」という論法は、子育てに関しても時々耳にします。

「私が子どもの頃にBをしてよかったから、子どもにもBをさせるわ」「僕はCという勉強法で受験に成功したから、子どもにもCをさせよう」といった具合ですね。(私も実際、このテのことを言っている自分に気づくことがあります…)

たしかに「自分」と我が子は性格や家庭環境などが似ていることが多いので、「自分」に効いたものは我が子にも効く可能性は比較的高いとは思います。

でも、先ほどのクリームの場合と同様、親が考えるべきは「私にとってよかったから」という根拠がどれだけ自分以外の人間(=自分の子ども)にも通用するのか、ということです。「自分の経験」にどれだけ普遍性があるのか、ということですね。

ここ2-30年の間に世の中は激変しました。2-30年前に有効だった勉強法や「してみてよかったこと」は今の時代・社会でも有効なのか?自分と同じことを子どもにさせてみて「有効ではなかった」と判明した場合、それは「あらぁ、ダメだったわね」程度で済まされる問題なのだろうか…経験談は「参考」程度に留めて、親もじっくりと考える必要があるのではないでしょうか。

とは言っても、理屈通りに進まないのが子育て。だからこそたいへんでもあり、楽しくもあり、やりがいがあるのだと思います。でもその中で、考えるべきことはきちんと考えなければいけないのだと(自戒の念を含めて)思います。

7月からの「ママのためのクリティカル・シンキング講座」では、このような「ママが日常を主体的に生きていくために必要な思考」について、ご参加下さる方とディスカッションしていきたいと思っています。

ママたちの白熱教室、となるでしょうか。

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