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選択肢から選ぶ「個性」

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こんにちは。Wonderful Kidsの狩野みきです。

今日は、「個性」の話をしたいと思います。

個性は、一人一人違ってあたり前。「みんなちがって、みんないい」。人間の個性を、限られた枠の中にはめて分類することなんて…できませんよね。

でも、もしも、「あなたの個性は次の10コの選択肢の内、どれですか。選択肢以外の回答はしてはいけません」と言われたら…どうしますか。

なんだか暗い未来小説のような響きがしますが、つい先日、私はまさにこのような問いを突きつけられました。

小学生の娘を連れて、とあるイベントに申し込みに行ったときのことです。申し込み用紙には、「お子さんが得意とすること」を2つ書く欄がありました。「がんばること」など目に見えないものはNGで、「ダンス」などの目に見える得意技を書いて下さい、と注意書きにはありました。

うーん、何を書こうか、と娘と相談して、「開脚」「走るフォームがきれい」と書き入れました。そして、申し込み用紙を提出しに行くと、受付の女性がこう言うではありませんか…

「すみません、お嬢さんの得意なことは、こちらに該当するものがないので、『得意なこと』として登録できません」

は?

一瞬何を言われているのか、わかりませんでした。よくよく聞いてみると、「得意なこと」の項目にはもともと「回答例」がいくつかある、とのこと。その回答例に該当しない得意技は、「得意なこと」としては登録できない、と言うのです。

ちょっと待って下さい。得意なことは何ですか、と聞かれたから書いたのに、ウソをついているわけでもないのにそれが「認められない」ってどういうことですか?と私は親の欲目も手伝って、食い下がりました。

「うーん、でも、こちらに該当するものがないから、認められないんです」(それなら「以下の選択肢の中にお子さんの得意なものがあったら、選んで下さい」って書いてくれればいいのに…ブツブツ)

教育現場だけでなく、日本社会には色々なところに「正解主義」がはびこっているのは知っているつもりでした。ところが、こんなところにまで「正解」があろうとは。

得意なこと、つまり、個性の一部にも「正解というストライクゾーン」があって、そのゾーンを外れたものは「不可」とされるなんて。

そんなの納得できないよ…と後日、会社で採用を担当している友人に話をしました。すると、友人がこんなことを教えてくれました。

「履歴書に書いてくる『特技』も基本的にはパターン化してるよ。就職に勝つための対策なのかもしれないけど、履歴書を何百通も見てるとね、『特技』『アピールポイント』があまりに似通っていて、『あなたたち、みんな同じ人でしょう?』って言いたくなる」

個性って…何なんでしょう。

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教えない先生

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こんにちは。Wonderful Kidsの狩野みきです。

『アインシュタイン150の言葉』という本が売れているようですね。

私も、アインシュタインが残したとされる言葉で好きなものはたくさんあります。その中でも特に好きなのが、

I never teach pupils; I only attempt to provide the conditions in which they can learn.
(私は生徒たちに教える、ということは絶対にしない。私はただ、生徒たちが学べる環境を提供しようと努めているだけだ)

高い所から「教える」のではなく、生徒たちが自分で学びとれるような環境を作り出すこと。生徒が「自分で学んでいるんだ」という実感を持てるようにしてやること。「教える」立場にいる者にとって、本当に大事な姿勢だと思います。

実は、「教師は『教える』ものではない」ということを私に教えてくれたのは、アインシュタインではないんです。教えて下さったのは、大学院の時にお世話になった、K教授です。

イギリスの19世紀文学と鉄道をこよなく愛するK教授は、いつも鉄道のネクタイピンを身につけ、ふろしき包みを抱えてひょうひょうとした様子で授業にいらっしゃる、いかにも「名物教授」という感じのステキな方です。

当時、K教授の授業では、学生一人一人がお気に入りの詩を選び、それについて多いに語る、ということをしていました。

K教授は、イギリス文学界でも有名な大教授。発表する側にもかなりのプレッシャーがありました。そんなある日、普段から「不まじめ」という感じだった学生が発表をしたのですが、その内容は、お世辞にもほめられないもの…まじめに準備したとはとうてい思えず、「せっかくの授業が台無しになっちゃうでしょ!」と、私たちはイライラ。

ようやく発表が終わり、K教授のコメントの時間となりました。教室内に緊張が走り、誰もが「教授のお怒りの言葉」を期待していた、その時です。

教授はおだやかな調子でたった一言、こう言いました。

「ところであなたは、どうしてこの詩を選んだの?」

肩すかしを喰らったような気になりました。本人も含め、皆、「へ?」と驚いた様子。

発表した学生本人は、しどろもどろに「えーっとぉ…そのぉ…この詩人のことが前からなんとなく好きで…」と答えます。するとまた教授が、「ふーん。あなたはこの詩人の作品の中でも、特にこの詩を選んだんだよね。他の作品とどう違うんだろうね」。

えーっとぉ…と相変わらず歯切れの悪い調子ではあったものの、「この詩のこういうところがいい、こんなところが気になる」と一生懸命答えていました。すると教授が続けて…

「そういうところに関心があるっていうことは、あなたはもしかしたら○○に興味があるのかな?○○については、調べたことある?」
「いいえ」
「じゃあ、○○について調べてごらん。そしてどう思ったか次回、報告して下さい」

「怒られる」と思っていた学生の顔をふと見ると、なんとも清々しい、生き生きとした表情をしています。私が知っていたそれまでの彼女とは、明らかに、別人。

衝撃でした。ちゃんと準備をしてこなかった学生を責めるどころか、教授は一方的に何かを「教える」ということすらしなかったのです。学生のそのままの姿を受けとめ、自分の力で先へ進めるように、一歩一歩、根気づよく導いてやる…これが教育というものか、とヒヨッコの私は頭をがつんと殴られた気がしました。

「ちゃんとしなさい!」と叱るよりも、自分の力に気づけるように仕向けてやることの方が大事だ、ということも、K教授に教わったことです。そして、自分もいつかK教授のような「先生」になりたい、とずっと思い続けてきました。

私がK教授に近づけたかどうか、は私の授業に出席している学生や子どもたちに聞くしかないのですが…授業に見学にみえた方からは、「狩野さんのレッスンは、とにかく子どもが主役なんですね」「狩野さんが問いかけたり背中を押すだけで、子どもたちは前にどんどん進んでいくんですね」と嬉しいコメントをいただいています(ありがとうございます!)。

子どもたちが私の授業を受けた後に、「結局あの先生はたいしたこと教えてくれなかったよね、ボクたちが全部自分で学びとったんだから。でもあの先生は、ボクたちのことをいつも受け入れてくれたし、応援してくれてたよね」と言ってくれれば、それで私の教育は「成功した」と言えるのだと思います。

子どもたちが「自分で学びとった」と実感してくれること。これにまさる喜びはありません。

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