こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。
「子どもに critical thinking を教えるプロジェクトを始めたんです」とまわりの人に言うとよく、「子どもにはそんな難しいこと、わからないでしょう」と言われます。critical thinking は論理性をベースにした考え方ですから、子どもにそんな小難しいことを教えなくても…という気持ちは実は私も理解できるんです。
今日は、このような疑問への私なりの答えでもあり、また、実際に小学生に critical thinking を教えてみて感じた「手応え」について書きたいと思います。
普段、大学生やビジネスマンを相手に critical thinking を教える場合は、理屈を理解してもらいつつ実践する、というスタイルをとっています。大人の場合は、「なぜこのような考え方をするのか」という理屈がわかっていないと実践しづらい、というケースが多いからです。
一方、子ども(小学校中学年ぐらいまで)を教える場合は違います。レッスンでは、「事実」と「意見」を識別させるクイズをしたり、発想力をつけるためのなぞなぞをしたり、理由を考えるクセをつけるために「どうして?」という質問をしつこくしたりしますが、なぜそのようなアクティビティをするのか、という理屈は説明しません。理屈を話しても子どもは退屈してしまうことが多いですし、子どもの場合は「習うより慣れろ」路線で教えた方が定着しやすいのでは、と考えています。
しかし、教師側は明確な目的のもとにアクティビティを行なっているつもりでも、端から見ると「なぞなぞやクイズをしているだけで、これがレッスンだろうか」と思われるかもしれないんですね。そこで、保護者の方にはなるべく参観していただいて、後から「あのアクティビティは○○という目的があったのです」と説明するようにしています。
つい先日、小学校低学年の子どもに critical thinking のプライベート・レッスンを行ないました。とにかく一生懸命考えようね、と約束することから始まったレッスンでしたが、終了後、そばでずっと様子を見て下さっていた保護者の方に感想をお聞きしたら、「あんなに考えて話す我が子の姿は初めて見たので、それが見られただけでもよかった。あのアクティビティにはそういう意味があったんですね、とてもおもしろかった」とおっしゃって下さいました。
レッスンをしてみて感じたことは、大人よりも子どもの方が「事実」と「意見」を明確に識別できるのではないか、ということです。また、大人が思っているよりも子どもはずっと論理的で、その「論理性」は頭で考えた末の産物というよりも、むしろ勘的なものである、ということも印象的でした。「どんな答えだって正解だから、何でも言ってみて」と言われると、子どもは考える「底力」を出してくれるようにも感じました。
理屈よりもむしろ感覚的なところで論理をとらえられる内に訓練をすれば、critical thinking も自然と身につくと思います。自然と身につくからこそ、大人になったときに critical thinking を自在に実践できるようになる—ことがこのプロジェクトが掲げるゴールです。
そして、これは決して不可能なゴールではないと思っています。西洋人だって、子どもの頃から色々な場面で critical thinking に触れているからこそ、大人になってごく自然に critical な思考ができるようになっているわけですから。