こんにちは、「子どものための Critical Thinking Project」を主催しています、狩野みきです。
今日のテーマは「子育ての難しさ」「ベーシック語彙を定義することの難しさ」です。かなりプライベートな話で恐縮なのですが…
先日、家であれこれ片づけをしていたら、3歳半の息子が何の脈絡もなくいきなり「ママのバカ〜!」と言って、嬉しそうに私の横を駆けぬけていきました。一瞬、聞き間違いかと思ったのですが、そういえば、その数十分前にも娘(7歳)に向かって「バカ」みたいな音を発していたのを思い出し、おそろしく低い声ですごんで息子を呼び止めました。
「ちょっと待ちなさい。今…何て言った?」
こちらの殺気に気づいたのか、息子はすでに凍りついています。我が家には自慢できるような教育方針はありませんが、娘が生まれたときに夫と決めたことは「子どもには何でも理由を説明してやろう」ということでした。子どもだって説明すれば聞いてくれる、頭ごなしに叱ったり「ダメ」と言うのはよそう、と決めたのです。
これは critical thinking の授業でよく学生たちに言うことなのですが、ある「現象」の根底にある理由に到達するためには「なぜ?」という質問を根気よく繰り返すことが大事です。ひとつめ目の「なぜ?」という質問に対する答え(理由)に対して再び「なぜ?」と問いかけ、その答えに対してもさらに「なぜ?」と半永久的に聞いていくのですが、そうすると、因果関係がクリアになりやすいのです(経営コンサルタントの人たちもこの手法をよく使うそうで、英語では why-whys と呼ばれます)。
私は、ついクセで、我が子相手にもよくこの why-whys を実行してしまうのですが、息子にも聞いてみました。「バカって人に言っていいの?」(半泣きの息子の答え:ダメ)「どうしてバカって人に言っちゃいけないの?」(もはや完璧に泣いている息子の答え:いやなきもちに、なるから)「バカって言われるとどうしてイヤな気持ちになるの?」(大泣きのため、答えられない息子)
「あのねぇ、バカっていう言葉の意味はね…」と自信たっぷりに言いかけたところで、「バカっていうのは頭が悪いこと」と言っても3歳児にはおそらくわからないだろうということに気づきました。こういうベーシック(?)な抽象語彙を、小さな子どもでも理解できるように説明することがいかに難しいか、あらためて感じました。
しかし、言葉につまったからと言って引き下がるわけにはいきません。そこで、もうすぐ8歳になる娘に(押しつけて)説明してもらうことにしました。娘は、ドラえもんに登場するのび太くんを例に出して説明したらしく、息子も娘の説明を聞いて、なんとなく理解していたようでした。
この後「自分のことをバカというのはかまわないけれど、人のことをバカというのは絶対にしてはいけない、なぜなら、その人はお勉強や色々なことを一生懸命がんばっているかもしれないのに、バカって言われたら悲しくなるでしょう」と息子に告げました。息子から「もう、しません」の約束をとりつけて、お小言セッションも終了しました。
さて。私自身が「もうっ、バカじゃないの!」と(理由はさておき)他の人に時々言っている、ということに気づいたのはその日の晩のこと。娘にも尋ねてみたら「ママは確かに時々言う」と言うではないですか。ガーン。誰よりも私が「バカ」という言葉を人に向かって発していたのだ、ということにやっと思いをいたしました。why-whys や わかりやすく言葉を定義する以前に、critical thinking 以前に、人間として母親としてもっと気をつけるべきことがあった、ということを子どもたちから教わりました。
ごめんね、もう、しません。