子どもの「どうして?」につき合う法

こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。

子どもに「どうして?」「なんで?」と矢継ぎ早にされて、もー、ウルサイ!と言いたくなったことってありませんか。でもこの「どうして?」という質問、実は大人の critical thinking 力を試してくれる、貴重な問いかけなんですよ。

なぜかと言うと、「どうして?」という問いは critical thinking の基本中の基本だからです。誰かの意見や情報の是非を見きわめるためには、「どうしてそう言えるのか」ということをまず考える必要があるからなんですね。

子どもに「どうして?」と聞かれたら、「これは自分の critical thinking 力をアップさせる絶好のチャンス!」と思って、とことんつき合ってあげてください。たとえば、「どうして学校にオモチャを持っていっちゃいけないの?」などと聞かれたら、「そういうルールだから」などとあっさり片づけずに、今一度、理由を考えてみましょう。たとえば「だって、学校は勉強するところでしょう、オモチャは勉強のときは要らないでしょう」と言えば、子どもも(おそらく)納得しますよね(中には「それでも持って行くんだ!」と言いはる子どももいると思いますが)。

ここで重要なのは、「学校にはオモチャを持っていってはいけない」という「常識」の根拠をあらためて考えてみる、ということです。普段なにげなく「当たりまえ」だと感じていることの根拠を考えてみるのは、critical thinking を身につけるにはとてもよい訓練なんです。

ところで「どうして?」というこの問い、少なくとも日本にいると、大人になるにつれてなりをひそめてしまうように感じます。ちなみに私は好奇心が強いのか、critical thinking を教えているせいか、すぐ「なんで?」と聞いてしまうクチですが…

ある日、「どうして大人になると『どうして?』と聞かなくなるのか」ということが急に気になりだしました。そこで先日、勉強会でご一緒している「大人」の方たちに、いつから「どうして」と言わなくなったと思いますか、と尋ねてみました。

興味深かったのは、「子どもの頃からずっと『どうして?』と聞き続けている」という回答が多かったこと。「だって世の中は疑問もいっぱい、答えもいっぱい」という指摘もありました。その時の回答を以下にまとめてみると…

「どうして?」と聞かなくなっていく理由として考えられるのは:

  • 教育を受けていくうちに「正解は何か?」という点に関心が向いてしまうから(したがって、「どうしてそれが正解なのか?」などという質問はあまり歓迎されなくなるのでは)
  • 大人になると人間関係や社会上のマナー、自己解決責任など、「どうして?」と素直に言えない事情が増えてくる
  • 日本社会は「あ・うん」の呼吸でコミュニケーションをとることが多いので、「どうして?」と聞くと野暮、と思われる風潮がある
  • 日本=単一民族国家、という図式があるためか、また伝統的に「個」よりも「和」を重んじるためか、個性を認めづらい風土がある(「どうして?」という問いを認めることは個性を認めることにもつながっていく)

…実に色々考えさせられます(ご協力くださった皆様、本当にありがとうございました)。

グローバル化、情報化と言われて久しいですが、たくさんの情報ときちんとつきあい、自分と違う文化や背景を持った人とわかりあっていくためには、「あ・うん型」のコミュニケーションでは通用しません。「あ・うん型」が悪い、あるいは時代遅れだ、というつもりはもちろんありません。でもこれからは「言葉でわかりあう型」のコミュニケーションの訓練をしておく必要がある、ということは確かだと思います。どうやって言葉でわかりあえばいいのかわからない…という方、まずは子どもの「どうして?」とつき合うことから始めてみませんか。

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