こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。
小学生相手のレッスンでは、「サンタクロースって本当にいるの?」「おばけっている?」「どうして、いる(又はいない)って言えるんだろう」という質問を時々します。論証が不可能に近い難問に子どもたちがチャレンジするわけですが、その奮闘ぶりは見ていて本当に頼もしいです。通常は「証拠」を見せることができない話なので、それだけに子どもたち一人一人の考える力と説得する力が問われます。
「神様って、じゃあ、いるの?」という質問を投げかけてみると、中には霊感の強い子もいて、「神様はいる、だって、見たことがあるもん」などの「体験談」も飛び出したりします。色々な答えがあっておもしろいなぁ、と私の方が教えることをしばし忘れて、じっと聞き入ってしまう瞬間です。
今日のテーマは、「神様っている?」ですが、最初にお断りしておくと、これは宗教的な話でも、無神論や不可知論などの話でもありません。純粋に、子どもがどうやって「神様の存在」という古今の難問を解き明かそうとしたのか、という話です。
うちの娘(小2)は小さい頃から家庭内のあらゆる側面で critical thinking を強いられて(?)来たのでかなりの熟練者なのですが、先日、その娘が夕飯時に「神様はいるかどうか、私、どうしても証明したい」と言ってきたので話を聞くことにしました(ちなみに娘は、キリスト教徒ではありません)。
「神様は絶対にいる」とまず言うので、理由を尋ねてみると「だって、私がそう思うから」(まずは宗教的なお答え)。あなたがそう思ってるだけじゃ、説得力はないよ、どうして神様はいるって言えるの?とツッコミを入れると、「神様がいなければ、私たちも、動物もいないから」。でもどうして、神様が私たちや動物を作ったってわかるの?とさらに聞くと、「聖書にそう書いてあるから」。
じゃあ、聖書に書いてあることって、本当のことなの?と聞いてみると、答えにつまった様子。私も自分の娘が相手だと容赦しないので、「神様ってでも、普通、誰も見たことないんだよね?どうして、そんなに自信を持って『神様はいる』って言えるの?神様がいるかどうか、すごい昔から頭のいい人たちが一生懸命証明しようとしてがんばってきたんだけど、それでも難しいって言われてるんだよ」とムキになって言ってしまったら…8歳になったばかりの娘が泣きだしてしまいました。
やってしまった!と思った時にはもう遅く、娘は「だって、本当にいるんだもん」と泣きながらお手洗いに立って行きました。数分経って、気を取り直して帰ってきたのですが、もう泣かせたくないし、神様の話はおヒラキかと思っていたら、「さっきの話の続き、してもいい?」と娘。躊躇しつつ「そこまでしたいんだったら」と促すと、娘が一気に言ったことには:
「神様のことは、聖書や神話に出てくるけど、聖書とか神話の話って、少なくとも100個はあるよね。もしもそんなにたくさんの話が全部ウソだったとしたら、この世界には嘘つきがたくさんいるってことになっちゃう。嘘つきがそんなにたくさんいるっていうのは、どう考えてもおかしい。だから、聖書に書いてあることは本当で、神様はいるの」。
キリスト教の「神様」と神話の「神様」とを混同していること、「少なくとも100個」の根拠があいまいであること、などツッコミ所はあったのですが、私もさすがにおとなしく聞いていました。もう泣かせたくないという気持ちがもちろんあったからですが、同時に、娘の論理力に(親バカながら)舌を巻いたからです。
子どもの論理力ってスゴい。と率直に思いました。これからも、我が子だけでなく、色々な子どもの「論理力」と向き合っていきたいと思います。そのためには、私も切磋琢磨しないとなりません。