投稿者「miki」のアーカイブ

子どもが先生!? 視点を増やすトレーニング

こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。

視点を多くすること=解決策への近道?」という記事にも書いたのですが、視点を増やすことは、物事を多角的にとらえるためにも、公平な判断を下すためにも、また、相手のことをよりよく理解するためにも—つまり、critical thinking を行なう上で—重要な役割を担っています。

とは言え、大人になると頭がだんだん硬くなってきて、なかなか視点を変えられない…ということもあるかもしれません。余裕がある時はまだいいのですが、余裕がなくなってくると、私などはそもそも「視点の変換」という考えすら頭に浮かばなくなります。

ごく自然に、色々な視点から物事が見られる人はいいのですが、私の場合、トレーニングして習慣化しないとできません。そこで今日は、私が普段実践している、簡単な「視点を増やすトレーニング」をご紹介したいと思います。題して「子どもが先生!? トレーニング」。子どもとふれあう時間をもっと持つためにも、是非一度試してみてくださいね。

子どもの目線と同じ高さになってみる
うちの息子(身長100センチ)は大の電車好きで、電車に乗る時はいつも運転席の後ろに立ち、背伸びをしてやっと見えるぐらいの高さの窓から線路を眺めます。身長165センチの私は普段は彼の後ろに立って一緒に線路を眺めるのですが、屈んで息子と同じ目線になってみると、けっこうおもしろいんです。普段とは違う部分の線路が見えますし、光景もよりダイナミックに見えるように感じます。身長165センチの視点では当たりまえだったことが実は「当たりまえ」ではない、ということを思い知らされます。子どもと文字通り同じ目線で話すと子どもの表情もよりよくわかるので、コミュニケーションがとりやすく感じられるのも、このトレーニングのメリットかもしれません。

子どもに「色」を尋ねてみる
大人にとっては単なる「緑」も、小さな子どもは「きみどり」と表現したりしますよね。様々な色を指さして子どもに「これ、何いろ?」と尋ねてみると、こちらの色彩感覚が「当たりまえ」ではないことに気づかされます。子どもが言ってきた「色」(例えば「きみどり」) がどうして「きみどり」に見えるのか、あらためて考えてみることによって訓練ができる、という仕組みです。色彩感覚も磨かれる、というオマケ付きです。

食卓の席順を変えてみる
我が家もそうですが、食卓の席順というのはそれぞれの家庭の需要や状況を元に成り立っていることが多いと思います。しかし、これをあえて席替えしてみると、これまた見慣れた風景が別の形で目に飛び込んできます。普段は見やすいと思っていた時計や、隣りの席との距離感など、席替えをすると、自分が「事実」だと思っていた食卓の様子も、単なる一解釈にすぎないことに気づきます。

反対側の歩道を歩いてみる
子どもと毎日歩く道も、 反対側の歩道をあるいてみると、思わぬ発見があります。陽があたって暑い道だと思っていた道がけっこう涼しかったり、見慣れた街並も角度を変えると新鮮な風景にかわります。違う歩道には違う花が咲いていることも多く、子どもと「きれいだね、何の花かなぁ」などと話すのも、(視点のトレーニング以前に)かけがえのない時間です。

視点が変わったら「こんなに違う風に見えるんだね」と子どもと話し合ってみると、子どもの考えるトレーニングにもなりますよ。

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子どもが critical thinking を学ぶメリットとは

こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。

「子どもに critical thinking を教えるプロジェクトを始めたんです」とまわりの人に言うとよく、「子どもにはそんな難しいこと、わからないでしょう」と言われます。critical thinking は論理性をベースにした考え方ですから、子どもにそんな小難しいことを教えなくても…という気持ちは実は私も理解できるんです。

今日は、このような疑問への私なりの答えでもあり、また、実際に小学生に critical thinking を教えてみて感じた「手応え」について書きたいと思います。

普段、大学生やビジネスマンを相手に critical thinking を教える場合は、理屈を理解してもらいつつ実践する、というスタイルをとっています。大人の場合は、「なぜこのような考え方をするのか」という理屈がわかっていないと実践しづらい、というケースが多いからです。

一方、子ども(小学校中学年ぐらいまで)を教える場合は違います。レッスンでは、「事実」と「意見」を識別させるクイズをしたり、発想力をつけるためのなぞなぞをしたり、理由を考えるクセをつけるために「どうして?」という質問をしつこくしたりしますが、なぜそのようなアクティビティをするのか、という理屈は説明しません。理屈を話しても子どもは退屈してしまうことが多いですし、子どもの場合は「習うより慣れろ」路線で教えた方が定着しやすいのでは、と考えています。

しかし、教師側は明確な目的のもとにアクティビティを行なっているつもりでも、端から見ると「なぞなぞやクイズをしているだけで、これがレッスンだろうか」と思われるかもしれないんですね。そこで、保護者の方にはなるべく参観していただいて、後から「あのアクティビティは○○という目的があったのです」と説明するようにしています。

つい先日、小学校低学年の子どもに critical thinking のプライベート・レッスンを行ないました。とにかく一生懸命考えようね、と約束することから始まったレッスンでしたが、終了後、そばでずっと様子を見て下さっていた保護者の方に感想をお聞きしたら、「あんなに考えて話す我が子の姿は初めて見たので、それが見られただけでもよかった。あのアクティビティにはそういう意味があったんですね、とてもおもしろかった」とおっしゃって下さいました。

レッスンをしてみて感じたことは、大人よりも子どもの方が「事実」と「意見」を明確に識別できるのではないか、ということです。また、大人が思っているよりも子どもはずっと論理的で、その「論理性」は頭で考えた末の産物というよりも、むしろ勘的なものである、ということも印象的でした。「どんな答えだって正解だから、何でも言ってみて」と言われると、子どもは考える「底力」を出してくれるようにも感じました。

理屈よりもむしろ感覚的なところで論理をとらえられる内に訓練をすれば、critical thinking も自然と身につくと思います。自然と身につくからこそ、大人になったときに critical thinking を自在に実践できるようになる—ことがこのプロジェクトが掲げるゴールです。

そして、これは決して不可能なゴールではないと思っています。西洋人だって、子どもの頃から色々な場面で critical thinking に触れているからこそ、大人になってごく自然に critical な思考ができるようになっているわけですから。

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