月別アーカイブ: 2011年10月

専門家の話は必ずしも正しいとは限らない!?

こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。

今日のテーマは「専門家の話は必ずしも正しいとは限らない」です。

こう書くと、とても疑り深い人間のように思われてしまいそうなので、補足して言い換えますと…今日のテーマは「専門家の意見だからといって、どんな文脈でも信じ込んでしまうのは critical thinking に反する」です。

新聞や雑誌、あるいはテレビのニュースなどを見ていると、よく専門家が登場しますよね。飛行機関連のニュースなら飛行機の専門家、円高のニュースなら経済アナリスト、健康に関する話題なら医師…といった具合に、それぞれのテーマに合わせて専門家の意見を聞く、というのは日本のメディアではよく見られるスタイルです。

専門家というのはその道で勝負している人たちですから、その人たちが出すコメントには原則、間違いはないはずです。しかし、専門家のコメントが正しい、ということと、専門家のコメントならどんな状況でも信じる、ということとは違います。

かつて私が新聞記者だった頃、「専門家」である取材相手に「どうせ私が何を言っても、あなたは自分のいいように私のコメントを料理して記事にしてしまうんでしょう、だから何も言う気はない」と言われたことがあります。その時は若かったせいもあってたいそう傷つきましたが、今になって考えてみると、この取材相手の言い分には一理あると思います。

新聞記事や報道番組は事実を伝えることが目的です。しかし、事実を何の「加工」もなしにありのままの状態で提供することは、おそらく人間にはできないのだと思います。何を伝えるにも、記者や編集者といった人間が介在します。カメラで「事実」を伝えるときも、人間が使うファインダーが介在していますよね。人間が介在するということは、そこに何らかの解釈が生じるということです。別の見方をすれば、解釈が生じるからこそ人間が伝えるものはおもしろい、とも言えるのですが。

専門家のコメントに話を戻します。私たちがコメントを読む時に気をつけなければいけないのは、コメントそのものは「事実」であっても、伝える人というフィルターを通した時に「事実」は「解釈付きの事実」に化け得る、ということです。また、あってはならないことですが、場合によっては「事実」を誤解して伝えてしまったり、意図的に自分の論調にこじつけて伝えることだってあり得ると思います。

さらに、専門家の意見に限らず、誰かが発した「コメント」は文脈が変わればまったく別の解釈も可能だ、ということも注意しておく必要があります。たとえば、「テレビゲームが子どもに与える影響は大きい」というコメントを、「少年犯罪が増えている」という文脈で読むと(コメントでは影響そのものが良い/悪いといった価値判断はしていないのに)「やっぱりテレビゲームは子どもに悪影響を与えているのだ」という否定的な解釈をする可能性があります。一方で、「子どもたちが作ったウェブサイトの独創性」という文脈で同じコメントを読めば、同じコメントでも肯定的な響きがするかもしれません。

「専門家のコメントによってハクづけされてさえいれば、その主張は信用に足る」と思わないようにすることが重要なのだと思います。そして、その主張の是非を本当の意味で判断したいのなら、そこで使われているコメントを一度全体の文脈から引き離すことも大事ですし、また、そのコメントの反対意見はないのか、ということをリサーチすることも場合によっては必要になるかもしれません。

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視点を多くすること=解決策への近道?

こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。

今日は娘を連れて、TEDxTokyo(米カリフォルニアに本拠地を置く TED の東京支部)主催による、「子どもと未来を考える」というイベントに参加してきました。「これから、子どもたちには何を与えていくべきなのか」ということをテーマに、教育やアート、ビジネスの第一線で活躍するスピーカーたちが色々な意見を披露したのですが、その中でも特に、文化人類学者の竹村真一氏の話は「視点を変えることの重要性」を再認識するという意味においても非常に刺激的なものでした。

竹村さんは、人間が使っている言葉がいかにすばらしいものか、人間が住んでいる地球がどれだけありがたい星なのか、ということを話していらしたのですが、その説明のし方が、とてもお上手なんですね。(以下、なるべく忠実に再現したつもりです)

「ネコから見たらね、言葉って、テレパシーみたいなものなんだよ。だって、空気を口から吐き出す時に音の出し方なんかをちょこちょこっと工夫するだけで、相手に気持ちが通じちゃうんだから。」

「宇宙から見るとね、地球は青いんだ、青いってことは水がいっぱいあるっていうことで、これは、他の星から見れば、本当に、すばらしい、ありがたいことなんだよ。」

どちらも、いつもとは違う見方をする、つまり、視点を変えることによって理解をうながす、という手法ですね。

さらに、人間が作った技術というものが地球をダメにしている、だから人間は地球のガンだ、という主張に対しても、竹村さんは視点を変えて意見をさしはさんでいらっしゃいました。「僕はね、そうは思わないんだ。おそらく、人間というのはまだ未熟で、だから下手な技術しか作れないんじゃないかな。下手な技術しかないから、地球を壊してしまっている、ということだと思うんだ。」

視点や立場を変えて物ごとを考える。これは、critical thinking の大事な要素です。視点を変えるということは、同じ現象が今までとは違うふうに見える、ということですよね。別の視点を持ち込むわけですから、その現象の解釈にも幅が出ます。そして、解釈に幅が生まれるということは、解決策のオプションも増える、ということにつながっていくはずなのです。

「何が地球をダメにしているのか」という議論も、「人間の作った技術のせいだ」という視点だけだと「だからこれ以上の技術開発はやめよう」あるいは「技術に頼らない生活をしよう」などの解決策しか出てこないかもしれません。でも、「人間はまだ下手な技術しか作れていないんだ」という視点を取り込むと「地球をダメにしない技術を開発するにはどうしたらいいか」という議論も出てくると思うのです。実際、技術がどう地球と共存していくべきなのか、浅学にして私にはわからないのですが、このように視点を複数にすることによって議論に幅が出る、ということだけは言えると思います。

視点を変える/増やすことは、自分とは違う立場にいる人を(可能な限り)理解するためにも、物ごとの全貌を(可能な限り)見るためにも、そして、解決策の可能性を広げるためにも重要なのだと思います。視点を変えて考えるという感覚を、どうやったら子どもたちに効果的に教えることができるのか。また課題がひとつ増えました。

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