月別アーカイブ: 2011年10月

正解がたくさんあったって、いいよね

こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。

日本の学校教育は「正解」を追い求め過ぎる、という批判を時々耳にしますが、今日は、この「正解主義」に関する話を書きたいと思います。

私が最初に正解主義らしきものにぶつかったのは、我が娘を小学校受験の塾にトライアルでやらせた時のことです。バスの絵と車の絵を見せて、「この2つの違う点を言いなさい」という問題が出されました。バスの方は公共バスという感じで角張っていて、車の方はビートルのような丸みを帯びた形をしていました。

娘の答えは「バスの方は四角い感じだけど、車の方は丸い感じ」。しかし、この答えは小学校受験的には「不正解」。後からの講評で、「2つのものの違いを述べよ、という問題では、『素材・用途』が正解で、それ以外の違いを指摘した場合は不正解」だということがわかりました。

せっかく子どもが考えて発言したのに、根拠も提示せずに「正解じゃないから」とばっさりと切ってしまうことに、(親の欲目も手伝って)深い疑問を感じました。もちろん、この一件だけで日本の受験全般を語るつもりはないのですが、普通の感覚(?)で考えれば「正解」になり得るものまで「不正解です」と言われてしまうと、子どもはいずれ「自分なりのやり方で考えるのはよそうかな」と思ってしまうのでは、と不安になりました。

入学試験など、多くの人間をふるいにかける必要がある場合は正解は1コの方が基準がぶれなくていいとは思います。そしてもちろん、正解を求めて計算能力などを高めることはすばらしいことだと思います。

でも、「正解は常にひとつだし、どんな問題にも正解はある」と無意識のうちに信じて大人になってしまうと、世の中に出てから苦労すると思うのです。だって世の中は「正解」がいっぱいあって、時には正解がないことだってありますよね。

私があえて日本で子どもたちに critical thinking を教えたいと願ういちばんの理由は、「大人が決めた正解を必死に探すよりも、自分を信じて自分の正解を探してみる」ということを微力ながら提案してみたいからです。これからのグローバル社会では、「地アタマ」で有名な守屋義彦氏なども指摘するように、誰かが決めた答えではなく、自分で考え抜いて納得のいく答えを見つける力が必要になってくるはずです。大前研一氏の言葉を借りると「21世紀は正解のない時代」だと思います。

critical thinking のレッスンでは毎回、「どんな答えも正解だから、はずがしがらないで言ってみて」としつこく言うことにしています。「正解」という言葉を使うこと自体、矛盾しているかもしれませんが、中には「正解じゃない」と言われることに敏感になっている子どももいるんです。

子どもが「正解」に縛られずに、クリエイティブに論理的に考える喜びを感じとってくれるといいな、と願いつつ、今日もレッスンプランを練り続けています。

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子どもが先生!? 視点を増やすトレーニング

こんにちは。「子どものための Critical Thinking Project」を主宰しています、狩野みきです。

視点を多くすること=解決策への近道?」という記事にも書いたのですが、視点を増やすことは、物事を多角的にとらえるためにも、公平な判断を下すためにも、また、相手のことをよりよく理解するためにも—つまり、critical thinking を行なう上で—重要な役割を担っています。

とは言え、大人になると頭がだんだん硬くなってきて、なかなか視点を変えられない…ということもあるかもしれません。余裕がある時はまだいいのですが、余裕がなくなってくると、私などはそもそも「視点の変換」という考えすら頭に浮かばなくなります。

ごく自然に、色々な視点から物事が見られる人はいいのですが、私の場合、トレーニングして習慣化しないとできません。そこで今日は、私が普段実践している、簡単な「視点を増やすトレーニング」をご紹介したいと思います。題して「子どもが先生!? トレーニング」。子どもとふれあう時間をもっと持つためにも、是非一度試してみてくださいね。

子どもの目線と同じ高さになってみる
うちの息子(身長100センチ)は大の電車好きで、電車に乗る時はいつも運転席の後ろに立ち、背伸びをしてやっと見えるぐらいの高さの窓から線路を眺めます。身長165センチの私は普段は彼の後ろに立って一緒に線路を眺めるのですが、屈んで息子と同じ目線になってみると、けっこうおもしろいんです。普段とは違う部分の線路が見えますし、光景もよりダイナミックに見えるように感じます。身長165センチの視点では当たりまえだったことが実は「当たりまえ」ではない、ということを思い知らされます。子どもと文字通り同じ目線で話すと子どもの表情もよりよくわかるので、コミュニケーションがとりやすく感じられるのも、このトレーニングのメリットかもしれません。

子どもに「色」を尋ねてみる
大人にとっては単なる「緑」も、小さな子どもは「きみどり」と表現したりしますよね。様々な色を指さして子どもに「これ、何いろ?」と尋ねてみると、こちらの色彩感覚が「当たりまえ」ではないことに気づかされます。子どもが言ってきた「色」(例えば「きみどり」) がどうして「きみどり」に見えるのか、あらためて考えてみることによって訓練ができる、という仕組みです。色彩感覚も磨かれる、というオマケ付きです。

食卓の席順を変えてみる
我が家もそうですが、食卓の席順というのはそれぞれの家庭の需要や状況を元に成り立っていることが多いと思います。しかし、これをあえて席替えしてみると、これまた見慣れた風景が別の形で目に飛び込んできます。普段は見やすいと思っていた時計や、隣りの席との距離感など、席替えをすると、自分が「事実」だと思っていた食卓の様子も、単なる一解釈にすぎないことに気づきます。

反対側の歩道を歩いてみる
子どもと毎日歩く道も、 反対側の歩道をあるいてみると、思わぬ発見があります。陽があたって暑い道だと思っていた道がけっこう涼しかったり、見慣れた街並も角度を変えると新鮮な風景にかわります。違う歩道には違う花が咲いていることも多く、子どもと「きれいだね、何の花かなぁ」などと話すのも、(視点のトレーニング以前に)かけがえのない時間です。

視点が変わったら「こんなに違う風に見えるんだね」と子どもと話し合ってみると、子どもの考えるトレーニングにもなりますよ。

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